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どうも、あっぴです。
今回お伝えするのは
「誰にも言えなかった、あっぴが不登校になった理由」
ちょっと暗い話だから、伝えるか迷ったんだけど・・・
あなたには伝えることにしました。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
実はあっぴは、小6から大学生までの約10年間、不登校でした。
ずっと学校に行ってなかったわけではないけどね。
不登校と学校に行くのを、繰り返してた。
大学時代だけは、授業にはほぼ出ないで部活にだけ行ってた。
で、不登校をしてるとよく
「なんで学校に行けないの?(来れないのかな?)」
って、お母さんとか先生に聞かれたんだ。
それに仲の良い友達にも、卒業後
「ずっと気になってたんだけどさ、あのとき何があったの?」
って聞かれた。
でもね。
不登校になった理由が、自分でもよくわからなかった。
だから「答えなきゃ」とか「答えたい」って思っても、答えようがなかったんだ。
当時はネットで不登校の原因とかを探しても、しっくりくるものがなかったし。
メンタル系の病院に連れてかれたこともあるけど、「異常なし」と言われた。
だから
「やっぱりただの甘えだったのかな」
とか
「自分はなんて弱いんだろう、ダメなんだろう」
って考えたりしてた。
でも先日ね。
やっと腑(ふ)に落ちるものを感じて、気持ちの整理が付いた気がするんだ。
クリックできる目次
幼少期:元々シャイでお絵描きが大好きな子供だった
あっぴは物心がついたときには、シャイで人見知りな性格だった。
そんで幼稚園児の頃には、絵を描くのが大好きだった。
自由時間には、だいたい1人でお絵かき。
それが楽しかった。
小2:大好きだった図工が恥ずかしい時間に変わった
小学校に入学後も、図工の時間が好きだった。
でもある日。
図工の授業で、粘土をやっていたときのこと。
あっぴはキリンを作っていたのね。
崩れないように気をつけながら、少しずつ首を長く、長く作って。
丸い斑点模様も1つずつ入れて。
最初はいつも通り楽しくやっていた。
だけどクラスの男の子のある一言で、ガラスのハートにヒビが入った。
その一言とは、
「なにそれ?恐竜?www」
今思えば、キリンと恐竜の見分けがパッとつかなくたって、全然不自然なことじゃないし。
人それぞれ捉え方が違うんだから、ジーっと見ても恐竜に見える人だっている。(それもある意味、芸術の面白いところ)
だけど当時のあっぴは、そこまで大人びたことは考えられなかった。
それに強気に言い返すこともできなくて
「馬鹿にされてるのかな・・・」
と感じて、無性に恥ずかしい気持ちになったんだ。
小5:みんなと違うことへの恐怖
またあるとき、5年生くらいのときかな。
授業でクラス内討論会をやることになったのね。
議題は覚えてないけど、道徳の教科書に載っていた内容で
「主人公の意見に賛成?それとも反対?
はたまたどっちもわかる?(中立?)」
って感じで分かれた。
そのとき、あっぴは
「主人公の立場を考えれば、主人公の気持ちもわかるし。
相手の立場を考えれば、相手の言ってることもわかる」
みたいに、中立な意見だった。
でもクラスのみんなは意外なことに、全員が賛成もしくは反対。
つまり中立はあっぴだけ。
みんなの意見が自分の意見なら、当時のあっぴでも納得できたんだと思う。
でも多くの人は仲の良い人と口パクで意見を合わせて、手を挙げていた。
そのことにあっぴはびっくりした。
でも、先生はそのことについて何も言わない。
そして意見ごとに机を配置するように指示した。
もちろん、中立派にいるのはあっぴ1人だけ。
討論で具体的な意見を言うときも、中立派としてあっぴが何回も発言する。
なんか、みんなの視線をすごく感じたんだよね・・・。
浮いてること、みんなと違うことをやっていることが、当時のあっぴにはめちゃくちゃ恥ずかしかった。
さらにね。
討論会の直後の給食の時間では先生が
「せっかくだしこのまま食べよう」
って言い出して。
孤立していたあっぴは
先生にまでハブられた気分だった。
「人と違うことをすると、こんなことになってしまうんだ」って身にしみる思いだったというか・・・。
普通の子なら、友達に
「私も入れてー」
って言うんだろうけど、当時はクラスに友達って呼べる人がいなかったし。
自分なんかがいきなりそういうことをやるのは違うというか、ダメだと思い込んでた。
先生も少数派のことまで気にするのは大変だろうし「自分で何とかしなよ」っていうのがあったのかもだけどね。
幸いなことに、少し経ってから数人の女の子たちが
「一緒に食べない?」
って声をかけてくれて、先生も
「そうしてあげて」
って感じでOKしてくれたから何とかなったけど。
今思えば、この経験もまたあっぴに影響を与えていたんだろうなって思う。
小6:不登校がスタート
そうやって少しずつ違和感やストレスとかを溜め込んでいって。
そして小6のとき、とうとう不登校が始まった。
きっかけは、英語弁論大会。
当時住んでた市では毎年「各中学校の代表者が英語で意見を言う会」があったのね。
そのときは50周年ってことで「市内の小学校からも1クラスだけ弁論大会に出る」とのことだった。
そして、あっぴのクラスが出ることになったんだ。
内容は、クラスメイト1人1人が、将来の夢を英語で発表。
同じ夢の人が何人かいたらまとめて言う、みたいな感じだった。
例えば「保育士さんや幼稚園の先生になりたい」「看護師さんになりたい」「薬剤師さんになりたい」とかね。
短い文章だし、英語が得意な親御さんが協力してくれたから覚えるだけで、そこそこ簡単なもの。
でも将来の夢を紙に書いて提出したとき。
あっぴはまた、人と違うことをやってしまった。
みんな職業を書いてた中で1人だけ、
「一軒家に住みたい、できれば庭付き」
と書いてしまったんだ。
あとで練習するときにみんなの夢を知って、これまた無性に恥ずかしくなったのを覚えてる・・・。
しかもほとんどの人は同じ夢の人が何人かいて、一緒に発表する形。
それに比べてあっぴは、1人だけで発表だし。
しかも職業名じゃないから、英文にしてもやけに長い。
みんなの注目を浴びる時間も長かった。
練習の度に、1人で大きな声を長く出して視線を浴びて・・・
当時のあっぴには地獄のような時間だったのを、よく覚えてる。
それと発表内容はもう1つあって、ビートルズの「Let It Be」という曲を合唱。
これも英語が得意な親御さんが1単語1単語、丁寧に教えてくれたんだけど…
これはこれでしんどかった。
夏休み前に教えてもらって、覚えるのは夏休み中の宿題になったんだ。
学校で録音してもらったカセットテープを家で何回も聞いたり、読み方をメモした紙を見ながら口ずさんだりした。
でも、覚えられなかった。
そして当時、完璧主義だったあっぴは、宿題ができていないことが嫌だったし。
しかも、またみんなの視線を浴びることを想像しただけで恥ずかしくなった。
これがきっかけで夏休み明け、初めて体調不良じゃないのに学校を休んだ。
無断欠席だった。
夜、パートから帰ってきたお母さんに怒られて、翌日は登校したんだけどね。
けど休み時間や給食中に、なんだか違和感。
男子のグループが、あっぴの方を見て何やら話しながら笑っていた。
話の内容まではわからなかったけど「たぶん陰口だろうな」って思った。
そしてやっぱり、恥ずかしい気持ち・・・。
また次の日、学校を休んでしまった。
そんでお母さんに怒られて、更に翌日は登校。
こんな感じで、学校に行ったり休んだりの生活。
とはいえ悪いことだけじゃなくて、ちょうどこの時期に嬉しいことも起きたんだ。
クラス内に友達ができた。
友達ができたおかげですごく久しぶりに「学校生活が楽しい」って感じて、「友達っていいもんだな」ってしみじみと思って。
また毎日学校に行くようになった。
まだ男子たちからは陰口を言われることがあったけど、徐々に減っていった気がする。
中1:部活の先輩からのいじめ
中学生になってもなんだかんだで友達ができて、小学生の頃よりは馴染めてた。
学校も毎日行ってた。
でも部活でいじめられるようになったんだ。
部活に行けば、先輩たちにコソコソと悪口を言われる。
部活以外の時間でも、廊下ですれ違ったときに悪口を言われる。
そしてまた、周りの人たちにも注目されてるような恥ずかしい気持ち・・・。
せっかく仲良くなった友達の前でも悪口を言われて、その友達にまで嫌われるのもこわかった。
でも、辞めたくてもみんなと違うことをするのがこわくて。
どうすればいいかわからなくて、また学校を休み始めた。
その後「部活を辞めよう」って決心して。
お母さんに学校に連れていかれて、担任の先生と別室で面談。
部活のことを話して、退部届けを出したんだ。
中1~2:美術の時間がイヤだった
でも、まだ問題は残ってた。
まず廊下で先輩たちとすれ違うのが、やっぱりこわかった。
先輩を見かけたり、声が聞こえる度に
ビクビクしてた。
それと新たな問題。
休んでた間に美術の課題が周りよりかなり遅れてた・・・。
それに小学生の図工の授業がきっかけで、自分のイメージを表現することに恥ずかしさを覚えてた。
だから周りに比べて遅れてることもあいまって、どんどん恥ずかしくなって【クラスの空間にいることが苦痛】で仕方なかった。
そしてまた、学校を休んでしまった・・・。
美術のある曜日はだいたい休む日々が続いて、そうなるとやっぱり周りの子は
「美術の日だけ休んでない?」
って気付くんだよね。
それを言われるのも嫌になって、他の日にも休むようになった。
ただ幸いなことに、塾に行くのは大好きだったし、勉強は嫌いじゃなかった。
あと高校に行くのが普通と思ってたから、中3のときは通知表のためにほぼ毎日学校に行った。
だから何とか高校には、進学したんだけどね。
高1:学校に行くことが疲れることになっていた
あっぴの通ってた高校では、芸術科目は選択式。
音楽を選んだから、美術とはおさらばできた。
天国みたいに感じたなぁ。
でも、そのときには毎日学校に行くという当たり前のことが精神的にも体力的にも、疲れることになっていたんだ。
個性的で面白くて、しかもあっぴの個性も長所だと認めてくれる友達がたくさんできて。
毎日が楽しかった。
けどその反面、ふと「疲れたなー」「休みたいなー」って思ったり。
放課後に用事がない人たちでダベってるときに
「もし今ここを離れたら、自分の悪口が始まるのかな」
って不安になって、トイレに行くのもこわくなったり・・・。
休日に遊ぶ話が出ても、断るのがこわくなって。
精神的にも疲れていった。
そして体調不良で休んだ翌日。
学校に行くのがこわくなって、また休みがちになってしまった・・・。
このときはたしか、割と早くに復活したんだけどね。
人間関係のこわさはまだちょっとあったけど、それでも友達との時間が楽しかったし。
授業が嫌だった訳でもないしね。
ときには遅刻をしながら(笑)、自分のペースで学校に行ってた。
高2:友達関係が楽しくない
でも高2のとき、また不登校になってしまった。
正直、友達関係があまり楽しくなかったんだ。
会話が弾まなくて、それでも一緒に居続けていることに違和感があった。
でも、だからって他のクラスメイトと仲良くなれる気もしなかった。
クラスに行く楽しみが感じられないから、週に1回だけある部活の日以外は、ちょいちょい休むようになって。
そのうち、部活の日だけ行くのも気まずくなって。
1週間まるまる行かないようにもなった。
高3での受験を機に、また
「とりあえず1年間頑張ってみよう!」
って気持ちを切り替えたけどね。
ぶっちゃけ、高校生のころには甘えの部分が大きくなってたと思う。
でも、抜け出せなかった。
小・中学生のときに、悩みに悩みながら不登校になって。
気付いたら学校を休むこと・嫌なことから逃げることが癖になってて。
高校でもズルズルと繰り返しちゃった、みたいな。
ここまで来ると、学校に行かないといけない、とは強く感じなくて。
危機感もあまりなかったしね。
最終手段「通信制高校とか高認試験もあるしなー、大学にも何とか行けるっしょ」みたいな。
でも部活(茶道部)には仲の良い友達がいたり、部活のときのまったりとした空気感が好きで。
できれば途中で辞めずに、もっと部活に行きたいとも思ってた。
大学:部活が楽しく居心地がよかった
最後に、大学はね。
1年生の途中まではちゃんと授業に行ってた。
ただ、よく一緒にいた子たちがめちゃくちゃテンションが高かったんだ。
それは楽しくていいこと。
でもだんだん、毎日一緒にいるのは精神的に疲れていった。
その反面、初めてガッツリ練習する部活(軽音学部)に入って。
熱中しているうちに、だんだん時間的に両立しにくくなった。
それに、部活の友達といるのが落ち着く感じもあった。
だから部活ばっかりやって。
出席重視の授業やテストのとき以外は、ほぼ教室に行ってなかった。
軽音学部で人間的に学ぶこと、成長することがたくさんあったし。
大学時代については、前々から後悔はあまりしてないけどね。
でも改めて考えてみると、学校(教室)に行かないことが習慣化していたり。
毎日のように活動し続ける体力がなくなったことが影響して、人より気軽に休んでたのもあると思う。
今思う、不登校への想い
あっぴは今まで、不登校だったことも理由もなるべく隠して生きてきた。
というか、隠したいって気持ちもあったし。
たまに、ふと
「隠し続けてるのも本当の自分を隠しているみたいでなんか嫌だから、伝えておきたいな」
って思っても言えなかったんだ。
なんでかっていうと、当時は自分でも気持ちの整理が付いてなかったのが1つ。
そして何よりも、不登校だったってことは、ずっとコンプレックスとしか思ってなかったから。
コンプレックスって思いが強かったから、自分の過去とも向き合うのがこわくて。
気持ちの整理もできなかったんだとも思う。
でも今は「不登校でよかったな」って感じてるよ。
ああいう経験をしたからこそ、自分なりの幸せ・生き方を考えるきっかけにもなって。
今のあっぴがあるから。
当時は傷つくことも、悩むこともたくさんあった。
でも今は、あっぴが学校に行くのを待っててくれて。
学校に行ったら、たまーに「心配したよ」と言いつつも、あぁだこうだと深入りはいつもしない。
そんで普段通りに接してくれた友達とか。
世間体とか気になると思うのに、喧嘩をしつつも学校を休ませてくれたお母さんとか。
毎日のように布団の上で思い悩んでるあっぴを思ってか「おすすめのゲームがあるんだけどやらない?」って、不器用ながら元気付けてくれたお兄ちゃんとか。
人と違うことをするのがこわかったあっぴに「あっぴ面白いなぁwww」「あっぴの〇〇なところ、私は好きだよー!」って笑顔で接してくれた。
そして「個性的でもいいのかも」と少しずつ思わせてくれた、友達や中学時代の塾の先生。
もっと言うなら、小学生のときに図工の時間にちょっかいをかけてきた、クラスメイトの男の子とか。
討論会のときの先生とか、英語弁論大会に参加したいって言い出した先生とか。
陰口を言ってたクラスメイトの男子たちとか、中学時代にいじめてきた先輩たちとか。
「そういう人たちがいたおかげで、今のあっぴがあるんだな」って思えるようになった。
また、元を辿っていくと・・・
小・中学生のときに、人間関係に不安を強く感じるようになって。
だからこそ高校時代には、先輩たちとか同級生と仲良くやっていけそうかってのも考えて、茶道部に入ったのね。
そしたら軽音学部にも入ってる同級生がいて、そこから「バンドって楽しそう!」って感じるようになったんだ。
だから大学では軽音学部に入って、バンドに熱中した。
でも会社員になったら、好きなことをやってたときとの情熱の違いを強く感じて、退職して。
将来どうしようかとネット検索してるうちに、あるブログの、ギターを持ったプロフィール画像が目に付いて。
それが後々、ブログやアフィリエイトについて教わることになった、北っちさんという人のブログだった。
その後に軽音学部だった経験を活かしたり、北っちさんに教わったりしてるうちに、趣味ブログで稼げるようになった。
そして、今のあっぴがある。
つまり今あっぴが幸せなのは、不登校だった過去があるからこそ。
そうでなかったら、たぶん今のあっぴはいないわけで。
「あぁ、あのとき不登校になってよかったなぁ」って思うんだ。
今はこういう考えをするようになって、気持ちが軽くなったし。
自分の人生を、不登校だった過去ごと好きになれたよ。
不登校だったあなたへ(あっぴからメッセージ)
・・・なんか、ちょっと話すつもりが気付いたらこんなに話してたw
暗い話だったし、気を悪くしてたらごめんね。
ブログと直接関係があるってわけでもないしね。笑
でもブログがなかったら、あっぴは
「自分はダメなやつなんだ」
とか
「昔からダメだったし、今更どうしようもない・・・」
といったコンプレックスに悩み続けていたかもしれない。
そしたら目の前の幸せを感じるどころじゃなかったと思うんだ。
そうなる前にブログに出会えて、本当にラッキーだった。
もしかしたら神様が手を差し伸べて、ブログに出会わせてくれたのかもしれないね。
ひょっとしたらあなたも、深く悩んだり苦しんだ経験をしてきたのかな?
あなたがこのブログにたどり着いたのも、もしかしたら何か縁があるのかもね。
ではでは、最後まで付き合ってくださってありがとうございました!
何となく、これを伝えないと、あなたと本気で付き合えないと思ったんだ。
あと、もしあなたもコンプレックスを持ってるなら、あっぴのコンプレックスを見せることで、少しでもあなたの勇気に変われば嬉しいしね。